霊芝の寺子屋[れいしのてらこや]

漢方の薬用キノコ霊芝の情報をお伝えするサイトです。

漢方の薬用キノコ「霊芝(れいし)」は長寿の象徴

koukyo_170119最近、「大人の社会見学ニュース」というサイトを見たところ、面白い記事が載っていました。

それが「御慶事に皇室へ献上された品々の特集 寿ぎの品々」というもの。

今回はこの記事についてお伝えしていきます。

三の丸尚蔵館をご存じですか?

「御慶事に皇室へ献上された品々の特集 寿ぎの品々」という記事には、「三の丸尚蔵館(さんのまるしょうぞうかん)」で何と霊芝が展示されているというものでした。

「三の丸尚蔵館」とはどのような施設なのか?

そもそもなぜ霊芝が展示されているのか?を調べてみました。

 

まず三の丸尚蔵館は皇居東御苑内、つまり皇居内にある施設です。

ウィキペディアによると「昭和天皇の崩御後の1989年(平成元年)6月に皇室から寄贈されて国庫に帰属した美術品を保存、研究、公開するための施設として1993年(平成5年)11月3日に開館した」とのこと。

収蔵している美術品は一般にも公開されており入館料は無料。

 

現在、ここでは第75回展 「寿ぎの品々を読み解く」という美術展を行っており、以下がその概要です。

ちなみに展示期間は2017年1月7日(土)~3月12日(日)までとのことです。

明治期以降,皇室の御慶事に際しては,各方面からお祝いの品としてめでた尽くしの掛軸や置物など,美術品の数々が献上され,現在,その一部が当館に引き継がれています。本展では,これらの品々に示された伝統的な吉祥の主題が,新しい時代の感覚によってどのように表現されたか,その造形美に注目して紹介します。

その中でも鶴と亀,松の取り合わせは,蓬萊模様,蓬萊図などと呼ばれ,祝儀の品には欠かせない主題です。これは,もとは古代中国の神仙思想において,不老長寿がかなう場所である蓬萊山を描いた図様から発展してきたものです。伝統的な蓬萊山図を,近代の画家たちがどのように解釈して描いたのか,横山大観をはじめとする画家たちの試みを見ていきます。

また,近代ならではの表現として,社頭図しゃとうずがあります。古くは寺社の境内を俯瞰図としてとらえ,これを身近に飾ることで参詣の代わりとしたものが社頭図ですが,名所を描いた名所絵と結びついて新たに展開していきます。大正期の作品では,境内の風景を画面に切り取ってめでたき景観として描き,花瓶や刺繍屏風にまでその景観が表されました。

このほか,神の使いとされた鹿や鳩,烏などの動物が表された品々,長寿の象徴である寿老人や霊芝の置物,高砂図を紹介します。

これらの品々に込められた健康と長寿,夫婦愛など,さまざまな寿ぎの意味を読み解きながら,その造形をお楽しみ下さい。

(宮内庁「三の丸尚蔵館 第75回展覧会について」より)

出展目録によると霊芝は、「不老長寿の願い」というコーナーに分類されており、霊芝置物として2点展示されています。

2点のうち1点は明治時代に制作された「霊芝置物」。

材質技法のところには「マンネンタケ」と書いてあります。

もう1点は大正2年(1913年)に制作された「霊芝置物 瑞旭霊 涛」というもの。

材質技法のところには「サルノコシカケ」と書いてあります。

 

どんなものか気になりませんか?

私はとても観たいのですが、皇居までの道のりは遠く、恐らく観ることはかなわないでしょう。

ちょっと残念です。

 

なぜ霊芝は不老長寿の象徴なのでしょうか?

今回、皇室に献上ざれた霊芝置物が展示されています。

そもそもなぜ霊芝は不老長寿の象徴とされてきたのでしょうか?

 

それは霊芝が古来、中国で珍重された不老長寿の仙薬だったという伝承に理由があります。

 

その伝承を分かりやすくまとめているサイトを見つけましたので、そこの文章を引用します。

霊芝の歴史は古く、紀元前にさかのぼります。かつて秦の始皇帝は、学者である徐(じょ)福(ふく)に(呪術師や祈祷師、薬剤師、占星術・天文学にも秀でていた)、遙か東方の三神山を有する聖地に、「不老不死の仙薬を探求せよ」と命じました。不老不死の仙薬を求めて、秦の最先端の技術者とその家族等、総勢3.000人もの船団で航海に出たと史記に記録されています。「東方の三神山を有する聖地」とは、日本だと言われており、日本各地に徐福伝説が残っています。また、不老不死の仙薬というのが霊芝だと伝えられ、2000年前に書かれた中国最古の薬学書、『神農本草経』にも最上級の薬として記されています。(原文ママ)

(「梅丹本舗」サイトより)

つまり秦の始皇帝が探し求めていたのが霊芝であるということです。

このような伝承から、霊芝は以後、不老不死の仙薬として珍重されてきました。

 

そのため霊芝は絵画や陶磁器にも長寿の象徴や吉祥文様として、亀や蝙蝠(こうもり)と一緒に描かれていることが多いとのこと。

その流れで皇室にも霊芝置物が献上されたということなのでしょう。

 

霊芝がなぜ不老長寿の仙薬と呼ばれるのでしょうか?

現代医学で分かっていることは、生活習慣病などの慢性の病気の原因は単純化すると、免疫力の低下や血流悪化です。

 

風邪にはじまり癌(がん)になるのも免疫力が低下しているために発症します。

また、動脈硬化や高血圧、糖尿病、脂質異常症(高脂血症)などの病気は、血管の支障が発生したり、血流が悪化したりすることにより起こります。

 

霊芝の効能効果は現代化学でさまざま解明されており、主な薬効は免疫力向上(調整)作用と血流や血管壁内悪化の改善が知られています。

 

もちろん秦の始皇帝時代にそのようなことは解明されていなかったでしょうが、飲用経験から霊芝を飲み続けることが、体に良いということは認識されていたのではないでしょうか?

 

時代が下って約1800年前には、中国最古の薬物書『神農本草経』に霊芝が載っています。

そこには365種類の生薬を「上薬(上品)」「中薬(中品)」「下薬(下品)」の3つに分類しており、霊芝は「上薬(上品)」となっています。

 

ちなみに「上薬(上品)」とは、効果がしっかりとある生薬というだけでなく、毎日飲み続けても副作用がないのが特長。

他の生薬では高麗人参や田七人参などが該当します。

 

普通、薬は病気になってから飲むと思いますが、「上薬(上品)」という概念は、病気にならないようにするための薬ということです。

そのため、毎日、飲み続けても副作用がないということは、当時にしても大きなポイントになっていたということです。

 

霊芝には薬のような即効性はありません。

毎日、飲み続けることで、徐々に霊芝の有効成分が体に働いていきます。

毎日飲むことですから副作用が出るかどうかは、気になるところですよね。

 

霊芝の優れている点は、2000年近くの飲用経験があるということ。

その歴史というものは、現代医学のような実験や臨床研究とは異なり、もっとシビアであったのではないでしょうか。

 

といいますのも効果がなかったり、副作用が出たりして健康にプラスにならないことが分かれば、その後は飲用されなくなっていきます。

ずっと霊芝が飲み続けられてきたということは、その効果や、副作用などの体に害がないということが認められていたということなのです。

 

このような霊芝の特長が「不老不死の仙薬」ともいわれ、霊芝自体も長寿の象徴としての意味合いが出てきたということではないでしょうか。

 

まとめ

現在、皇居の中にある三の丸尚蔵館では「第75回展 『寿ぎの品々を読み解く』」という美術展が開催されており、霊芝置物が2点展示されています。

霊芝置物は長寿の象徴として、皇室に献上されたものです。

 

なぜ霊芝が長寿の象徴とされてきたのかといいますと、秦の始皇帝が「不老不死の仙薬」として探し求めていたのが霊芝だったという伝承があるためです。

 

古来、中国の宮廷では霊芝が珍重されてきました。

その理由の1つに、中国最古の薬物書『神農本草経』に霊芝が「上薬(上品)」として分類されていたことがあると思います。

「上薬(上品)」とは、毎日飲むことで効果が出るだけでなく、副作用が出ないという優れた特長を持つ生薬のこと。

 

霊芝は2000年近くの飲用経験により、効果があって、副作用もないことが知られている優れた薬用キノコなのです。

そのために長寿の象徴として、置物にもなるほどのおめでたいものとして、日本でも認識されていたのです。